応援メッセージ集

2017年2月6日〜3月10日に挑戦したクラウドファンディング中に集めた応援メッセージを紹介します。

カーキより

カーキからのメッセージです。

私はトランスジェンダーです。好きなる性は、よくわかりません。現在22歳。高校生をしています。

中学を卒業後一度はそのまま高校に進学しました。しかし女子の制服を着ることが苦痛で、制服を着て家を出て他人に見られることに耐えられなくなり、中退しました。

 

今、定時制の高校で勉強しています。新しいことを知ることは面白く勉強は楽しいです。理解ある先生に恵まれ、今の高校に通えていることをとても嬉しく思っています。強がりではなく前の高校を辞めたことを私は後悔していません。

しかし、ただ制服が嫌だというだけで学校で学ぶ貴重な機会が失われることを悔しく思います。

このメッセージでなにかが大きく変わることはありません。

でも、少しでも発言することが社会を変えることに繋がるのではないでしょうか。

 

制服を着るのが嫌いなあなたへ。

制服を着なくてもいい学校もあります。制服のある学校でも相談すれば選ばせてくれる場合もあります。

我慢しなくていい社会へと、少しづつですが動き始めています。

せめてIDAHOの日だけは好きな服装ができますように。


SAKIより

私の体と心の性別は、女性です。好きになるタイプは男性です(経験上)。いわゆる普通の人です。

 

私の友達は、体が女性で心は中性です。好きになるタイプも中性です(きっと)。

いわゆる普通の人です。

 

私のもう一人の友達の、体と心の性別は男性です。好きになるタイプは男性です(しかもイケメン)。いわゆる普通の人です。

 

私の友達に対する「いわゆる普通の人です」の一言は、"今の社会"では受け入れてもらえていない。「えっ?」と怪訝な顔をされるでしょう。心と体の性別が一致しない人、同性が好きな人に対して、いろんな悪口や偏見、社会的障害がある。それが、私の今生きている社会。

 

体と心の性が一致してて異性が好きなマジョリティの私は、大切な友達をどうやって守っていけばいいんだろう?

 

そう考えた末、出した答えは「とにかくあなたのことが大事だよ、大好きだよ」と伝え続けること。伝える方法は様々ある。今回の神戸IDAHOの支援も、私の「あなたが大切だよ」のメッセージです。

 

社会はゆっくり、確実に変化していっている。でももっと早く。私の大切で大好きな友達たちが、誰にも否定されず傷付けられず泣かない世の中になるように。

 

あなたらしく生きれるように、私も声を上げるよ。


Yuiより

「三ノ宮のみなさん、こんにちは~…」

 

元々こういうのは得意で、明るい声で、そして人前で話すのも慣れたもの、のはずだった。

しかし、講演のゲストスピーカーとして話すときとは訳が違う。

 

街のど真ん中。休日。

行きかう多くの人々。

神戸マルイ前。

「何やあれ。」人々の視線が気になる。

緊張した。少し怖かった。

 

「突然ですが、5月17日は何の日か知っていますか?」

怖さから、まだ弱弱しい声。

 

「知ってる~!!!!」

周りから、サクラで返してくれるみんなの声。

ほっとした。嬉しかった。勇気が出た。

 

そんな、初めて神戸IDAHOでマイクを握ったとき。

 

それから、ほぼ毎年参加して、今年で4回目。

毎年とても楽しみにしている。

去年は用事で行けなかったから、なおさら。

 

私たちは、目に見えない。

だからこそ、周りの何気ない一言一言に傷ついている。

 

「○○と××ってホモみたい!キモいよな?」

「何年も付き合ってるんだよね?そろそろ結婚したら?」

「えー女子なのにそんな格好して!化粧くらいしなよ!」

 

そんな言葉を言われるたび、本当のことは言えなくて。

独りぼっちな気がして。

 

でも、IDAHOの日は違う。

みんながいる。勇気がでる。

私たちの日々抱えている生きづらさが、メッセージとなってマイクで代読され、フラッグに書かれ、チラシとして配られる。

 

立ち止まって聞いてくれる人がいる。

フラッグを見に来てくれる人がいる。

もらったチラシを読んでくれる人がいる。

「何してんの?」声を掛けてくれる人がいる。

少しだけ、見える存在になる。

 

社会は急には変わらない。

でも、少しずつ、少しずつ。

 

私は、神戸IDAHOの、あったかい空気が大好きだ。

来年もまた、みんなで笑って、「多様な性にYES!」と言えるように。


Jより

LGBTに関する世間への風当たりはここ数年でも確実に変わりました。

 

それは当事者が身近にいると感じる人が増えその声が国の政策や、メディアを作る側の考えに影響を与えたんだと思います。

 

ただ本当の当事者を街中や日常生活で知ることは彼らが主張をしない限り機会はなくアイダホはその一役を担っていると思います。

 

表に姿を見せ主張し続けるには勇気の他にもその活動のための資金も必要になり

ます。それらは活動する人達の自費負担で賄われていましたがその活動を今後も続けていくためにはやはり善意の輪を広げていく必要があります。

 

継続的に勇気のある方が活動を続けられるように皆様の応援よろしくお願いいたします。


RIE SAWAIより

『多様な性にYES!』

初めて見たとき、とても素敵なことばだと思いました。わたしはこのことばがとても好きです。

 

想像します。

自分の性に違和感を感じつつ、家族にも誰にも話せずに悩む姿。

 

彼氏は?結婚は?という周りからの問いに言葉が詰まる瞬間。

 

無知ゆえの偏見や、悪意が無くても何気なく言われた一言に涙する姿。

 

もしその姿が自分の子供、家族、友人、であったなら。 そして自分であったなら。

 

普段生活していくなかで、セクシャルマイノリティーは『目には見えにくいこと』かもしれません。

でも、言葉に出せずに苦しんだり、表に出せない想いを持った人たちが『確実にいるんだ』ということ。そしてそれはとても『身近』だということ。わたしはわかさんにそれを教えてもらいました。

神戸アイダホはこれらを感じるきっかけになるのではないでしょうか。

 

わかさんが大切に大切に活動してきた神戸アイダホ。『多様な性にYES!』という素敵なことば。この日がたくさんの人にとってそれぞれの『きっかけ』となります様に。

 

わたしもまだまだ知らないことが多いと思うけれど、ささやかながら応援しています◎


小池より

私は大阪市で暮らしているレズビアンです。

 

LGBTって最近ニュースでも取り上げられているし、いろんなところで取り組みがせれていて素直に(すごいなぁ。)と感じていましたが、窓の外をガラス越しに眺めている気分で、別の世界のように思ってしまいます。私には5年付き合っている彼女がいますが、職場では「彼氏がいます。」と言ってごまかしています。

「いつ結婚すの?」

「いや結婚よりも家が欲しいです。」

「えー!絶対結婚式したほうがいいよ!」

本当はみんなから祝福されて結婚式もしたいけど、友だちにも親にも気軽に話せないから、踏みとどまってしまいます。

 

「ここで手繋ぐのはちょっと…」

彼女も仕事していて、いつ仕事関係の人に出会うかわからないから、町を歩くときは友人を装わないといけません。私たちにとって普通に暮らすことは結構大変なことなんです。

 

そんなとき、友人に誘われてIDAHOのイベントをしているところに近づいていくと、

「来てくれてありがとー!」

と嬉しそうに手を振ってくれ、

「パートナーは元気?」

と彼女の話を自然にでき(こんな風に自分らしく生きれたらなぁ。)とうらやましく思えました。私には街頭に出るほどの勇気はないけど、神戸の中心地で、堂々とアクションをしている友人を遠くからですが、これからもずっと応援していきます。


春樹より

私が初めて行ったLGBTのイベントが、この神戸IDAHOでした。

 

当時の私は大学生で、自分の性別について悩んでいて、

「将来どう生きたらいいんだろう・・」「このまま生きていくのはいやだな・・、でもどうすればいいのかわからない」そんな風にばかり思って過ごしていました。

 

そんな時、インターネットで神戸IDAHOを知りました。

「地元から遠いし、知り合いに会わないだろうから、行ってみようかな」

そう思った私は、恐る恐る開催者にメールしました。

 

程なくして返信が。それはもう、温かい空気に包まれた内容でした。

実際に神戸に行ってみると(実はその時が神戸発上陸でした笑)、やっぱり人の多さで圧倒されましたね。三ノ宮駅についてすぐに、IDAHO会場に向かいました。

 

でも、どんどん怖くなってきて、足がすくんで会場に向かえない。

「人生で初めて参加するイベントだし、自分以外に初めて会う当事者や理解者ってどんな人なんだろう。どんなふうに話しかければいいんだろう。てか、何すればいいんだ?!・・・」 などなどいろんなことを考えてしまって、

 

しばらくはマルイ(当時はオイオイと読んでいた)の周りをぐるぐるぐるぐる…歩き回って、会場を遠くから見つめてました。笑

 

このままじゃだめだ!と思って会場に突っ込んでいきました。

すると、本当に拍子抜けするぐらいWelcomeな空気感で、むちゃくちゃ過ごしやすくて逆にびっくりしました。笑

 

「多様な性にYES!」と口にしながら、チラシを配ったり、メッセージを読み上げたり。

メッセージの1つ1つが胸に刺さって、読んでるこっちが泣きそうになってました。それと同時に、「生きていいんだよ。あなたはあなたいいんだよ。YES!!」そういわれている気分になれました。

 

そしてその日から、ちょっとだけ視野が広がってひとりぼっちなわけじゃないと思えるようになりました。

 

“見えないから、いない”そうじゃなくて、“言えないから見えない”。

そんなギャップを埋めてくれる。そんなイベントだと思います。

みんなが外に出て言葉を伝えることはできない。だけど、見えない言葉を代読して、みんなに届ける機会を続けていけるように。みなさん、力を貸してください。

 

程なくして返信が。それはもう、温かい空気に包まれた内容でした。

実際に神戸に行ってみると(実はその時が神戸発上陸でした笑)、やっぱり人の多さで圧倒されましたね。三ノ宮駅についてすぐに、IDAHO会場に向かいました。

 

でも、どんどん怖くなってきて、足がすくんで会場に向かえない。

「人生で初めて参加するイベントだし、自分以外に初めて会う当事者や理解者ってどんな人なんだろう。どんなふうに話しかければいいんだろう。てか、何すればいいんだ?!・・・」 などなどいろんなことを考えてしまって、

 

しばらくは神戸マルイ(当時はオイオイと読んでいた)の周りをぐるぐるぐるぐる…歩き回って、会場を遠くから見つめてました。笑

※追記:神戸マルイ=OIOIと表記するため

 

このままじゃだめだ!と思って会場に突っ込んでいきました。

すると、本当に拍子抜けするぐらいWelcomeな空気感で、むちゃくちゃ過ごしやすくて逆にびっくりしました。笑

 

「多様な性にYES!」と口にしながら、チラシを配ったり、メッセージを読み上げたり。

メッセージの1つ1つが胸に刺さって、読んでるこっちが泣きそうになってました。それと同時に、「生きていいんだよ。あなたはあなたいいんだよ。YES!!」そういわれている気分になれました。

 

そしてその日から、ちょっとだけ視野が広がってひとりぼっちなわけじゃないと思えるようになりました。

 

“見えないから、いない”そうじゃなくて、“言えないから見えない”。

そんなギャップを埋めてくれる。そんなイベントだと思います。

みんなが外に出て言葉を伝えることはできない。だけど、見えない言葉を代読して、みんなに届ける機会を続けていけるように。みなさん、力を貸してください。


kazuより

多様な「性」を社会が認め、許容することは、多様な「生」を社会で認め、許容していくためには必要で、一人一人が違って当たり前で、「生」の在り方が違うことで誰かの在り方や考え方が否定されたり、けがされるものではきっとないと思う。

 

この活動はもちろん「性」に注目した活動ではあるが、根幹にあるのはきっと特別な誰かのための活動ではないのだと私は思う。

 

私自身はマイノリティではないと思うのですが「男らしくない」だとか「女子力高いよね」と言われ「性」のことで悩むことが多い人生でした。多くの人が「性」という括りによって生きづらさを少なからず経験はしたことがあるのではないでしょうか。

 

好きなものを好きだといい、こだわりに自信持って生きれる人が一人でも多くなるよう願いを込めて。

 


安岐あきこより

わたしは神戸でパートナーと二人で暮らしています。

 

一見、異性愛のモノガミー(一夫一妻制)カップルに見えますが、わたし達は二人ともバイセクシュアルでポリアモリーです。

 

※女性・男性の区別なく好きになりますし、男性でも女性でもない人も恋愛対象になるので、パンセクシュアルと言った方が正確かもしれません。

※ポリアモリー……複数愛。恋愛・性愛において一対一でなくてもよいとするあり方。恋人が複数いたり、3人以上で付き合ったりする。

 

今のマンションには「婚約者」と申告して入居しましたが、実際には結婚する予定はありません。わたしは今のパートナーと同時に別の恋人がいたこともありますし、パートナーには3人で恋愛関係を築いていた経験があります。

 

今のパートナーと付き合うだいぶ前、わたしは同性の恋人がいて、その人の家によく遊びに行っていました。でも、その人の両親が急に遊びに来ることになると、わたしは急いで家を出ないといけませんでした。夢物語のように「いつか一緒に暮らせたらいいね」と話したこともありましたが、親が遊びに来るときは外出しなければならないので「そのための小さい部屋を借りておいてもいいね」という話になりました。わたしは恋人と住む自分の家に自分らしいものは何一つ置けないんだなーと思って、自分の家なのにまるで住んでいないかのように生活しないといけないんだなーと思って、自分の存在が希薄になったような、地面が地面でなくなったような、心もとない気持ちになったことを覚えています。

 

今のパートナーとの間では、おたがいに家族を紹介しあっています。でも、ポリアモリーということは話していません。もし、わたしがパートナー以外の恋人とデートしているところを、パートナーの家族に見られたら気まずいなーといつも思っています。

 

結婚していないので、もしパートナーが急な事故や病気で病院に運ばれたら、病院で家族として扱ってもらえるのか、家族として扱われないことで最期の瞬間に立ち会えなかったら、と想像するととても心配です。考えすぎだと言う人もいるかもしれません。でも、子どもの頃からつらい思いをしてきたことが塵のように、一つ一つの塵は小さかったはずがいつのまにかたくさん降り積もっていて、そのせいでつい悪い方へ悪い方へ考えてしまう、そんなセクシュアル・マイノリティも多いのです。

 

このまちで、もう少し、セクシュアル・マイノリティのわたし達が、そしてどんな人も、のびのび安心して暮らせますように。地面が地面でなくなるような不安を抱えながら育つ子どもがいませんように。

 

そう願って、わたしは神戸IDAHOを応援します。

 

ポリーラウンジ幹事・ポリアモリー研究室スタッフ

安岐あきこ


塩安九十九より

7年目の路上アクション、おめでとうございます!街頭での活動を継続して行っているスタッフ、ボランティアのみなさんに心から感謝とお祝いを申し上げます。

 

私が十代だった頃は、LGBTQという言葉はあまり知られてなくて、自分の状態に名前があることも知らず悶々とする日々でした。もしもそんな時に、道端で「多様な性にYES!」と言って様々な性の物語を語る人たちに出会ったとしたら、それは奇跡の日と名付けたいような記念日になったことでしょう。道端で泣いたかもしれない。

 

少しはLGBTQについて知られるようになった昨今でも、路上アクションに出会ったらきっと多くのセクシュアルマイノリティの人たち(そうでなくても)が心動かされると思います。少なくとも、その日は「すごくいい日」になるはずです。それだけの効果が路上アクションにはあると思います。

 

先日、アメリカで開かれたLGBTQの大会で「Prejudice Reduction - Lessons from Deep Canvassing」というトランスジェンダーの人を含んだ反差別法を守るために、有権者が持っているトランスジェンダーへの偏見を減そうと、戸別訪問をした取り組みについて報告されていました。ポイントは2点。正しい知識を提供すること。そして多くの人が経験したことがあるような嫌な体験、外見で勝手に判断されたり、「こうあるべき」という理想にそぐわないために窮屈な思いをしたり、そうした有権者の体験をベースにトランスの人の困難を重ね合わせて"対面での"会話を深めることで、偏見を縮小させることができたのだそうです。テレビでLGBTQが報道されているのを観るのより、ネットでブログを読むのより、実際に街頭に立っている本人たちの姿を目の当たりにすることの方が、人の心を動かすのだと思います。

 

もう何年も昔のことですが、こちらのスタッフの何人かと講演活動を一緒にしていました。セクシュアリティをまだ模索していたり、考えや気持ちに自信が持てなかったりしたかれらが、自分を語る経験を積むことでメキメキと素敵な大人になっていくのを見てとても頼もしく感じました。今かれらが選ぶ言葉は洗練された説得力に満ちています。トンネルを経験してこそわかる、トンネルの中にいるからこそ言えることが、すごくパワフルだと教えてくれました。それは今迷っている人、辛い状況に居る人にとっての灯台です。(灯台は言い過ぎだとしたら少なくとも懐中電灯とか?)そして次はあなたが語る番だと感じてほしい。誰もが語るに値する人生を歩んでいます。

 

年に一度のイベントだとしても、これは確かにコミュニティ作りだと思います。たくさんの人が関わり、新たなつながりができ、関係が深まっていく。そして、何かに属している、一員だと感じられる。新しい人に寄り添い、先人たちのLGBTQ運動の歴史に学ぶ姿勢を持ち、そして失った仲間のことを忘れない今のスタッフの人たちが、こうしたコミュニティ作りに従事していることが誇らしく嬉しいです。

 

5/27(神戸IDAHO予定日)にかれらに会いに行ってほしいです。LGBTQ当事者であってもなくても、ひとりひとりのユニークで特別なメッセージに耳を傾けてみてください。それはかれらを勇気づけるとともに、あなたの生きている実感を強くすると思います。素敵な出会いがたくさん起きますように。トロントより念力を込めて。


田松より

わたしは、女の人が好きな20代女性です。

 

10代の頃からそんな自分はおかしいと悩み、周りに対してどこかで疎外感や孤独感を持っていました。当時は同じような悩みを抱える人々と繋がることもできず、同性を好きになるのは特殊なこと、異常なことと捉えていました。

 

転機は二十歳のころ。たまたま近所の大学を通りかがったとき、多様な性のあり方について発信する内容の立て看板が目に入りました。その大学にある、ジェンダー・セクシュアリティについて考えるサークルのお手製のものでした。身近に理解ある人々が存在すること、同性を好きになる人は一定の割合で存在すること、別にそれは異常でも何でもないことを知って、心が軽くなったのを覚えています。

 

今回の神戸での路上アクションも、こんなふうに誰かのきっかけになったら、それはとても素敵なことだと思います。

 

世の中には色んな人がいて、私たちにすでに一緒に生きています。

 

異性を好きになる人、同性を好きになる人、人を好きになるのに性別に関係ないという人、恋愛感情を持つ人、恋愛感情を持たない人、パートナーを持つ人、パートナーを持たない人、生まれついた性別のまま生きていく人、生まれついた性別と異なる性別を生きる人、自分の性別に違和感を持つ人、男女どちらの性別も選ばない人etc

 

性に関することに限らず、誰もが人と違う部分を持っているし、誰もが何かしらのマイノリティになる可能性がある。多様な性のあり方・多様な生き方が、自然に肯定される世の中は、みんなが生きやすい世の中に繋がってくると信じています。


Yより

神戸IDAHOに参加した理由

 

神戸IDAHOは、私にとって人生で二回目のLGBTイベントでした。地方で育ってきた私は、自分以外の当事者と会う機会が大学に入るまでありませんでした。LGBTのイベントに初めて参加した時、今まで感じたことのない、初めて感じる安心感がありました。自分がLGBTであることを責められない。隠す必要もない。人の目を気にする必要もない。またそんな場所に行ってみたいと感じました。

 

そんな中、神戸IDAHOというイベントがあることを知り、勇気を出して参加しました。

 

そこでの自分以外の当事者との出会い。普段は話せないことを共有することができました。もちろん、参加者は当事者だけでなく、ALLY(支援者)の方も参加しており、ALLYの方が一緒に声をあげてくれることに勇気をもらいました。

 

街頭で自分たちが普段感じていることを発信しました。私たちは、ここに居る。あなたは1人じゃない。

 

神戸IDAHOの空間はあったかかった。誰でも参加ができる。人と違うのが当たり前。お互いを認め合い、誰も排除しない。この世界で一人ぼっちだと思っていたけれど、仲間はたくさんいる。そして、それまでの自分のように、日本のどこかで1人で悩み苦しんでいる人が居るかもしれない。その状況は変えていかなければいけない。神戸IDAHOに参加したことで、そう思いました。

 

神戸IDAHOが終わり、地方に戻ってから啓発活動や交流を行うグループを有志で立ち上げました。神戸IDAHOに参加してからもうすぐ5年経とうとしています。私は今も、神戸IDAHOで感じたことを忘れずに活動をしています。

 

皆さんのお力を貸してください。神戸IDAHOに来ることができる方は、是非お越しになって神戸IDAHOの空気を肌で感じてください。

 

私のきっかけとなってくれた神戸IDAHOがこれからも誰かのきっかけになるように、継続的に続くように願っています。


ぴやまあおいより

10年前、関西で初めてidahoの街頭アクションが行われた日。

私はまだ10代で、それが初めての活動でした。

 

やっていいことあるんかな?

当時付き合っていた人には、あまりいい顔はされませんでした。

でも私はやりたかった。

伝えたいことがあった。

 

そのときに、マイクを握った人たちの輝きは、今も忘れられません。

 

私はパンセクシュアルです。

好きになる相手に、性別は関係ありません。

私にとってそのことは、とてもハッピーなことでした。

だから、昔の自分のように、悩んでるティーンエイジャーたちに伝えたかった。

 

TVの中のお話じゃない、私たちはここにいて、色々あるけど幸せやで!

 

IDAHOには、たくさんの人がメッセージを寄せてくれます。

その言葉のひとつひとつを、なるべくたくさんの人に聞いてほしい。

私だけじゃない、色んな人が、色んな場所で、生きてることを伝えたい。

その声に、ひとりでも振り向いてくれる人がいることを願って。

 

IDAHOの路上アクションを続けるうちに、たくさんの人がマイクを握るようになりました。

わかさんもその一人でした。

飛び入りでマイクを握った人が、語り出すのは、一番嬉しい瞬間です。

そこからまた、新しい言葉、新しいつながり、新しい時代が始まる!

 

神戸IDAHO、心から応援しています。

今年も誰かの心に響くことを祈って。


りくより

 この数年、テレビでも新聞でも、LGBTという言葉が頻繁に現れるようになってきました。主に欧米における同性婚導入のニュースに押されるようにして、日本でも急に話題に上るようになってきた感があります。

 

 しかしたびたび指摘される事実として、LGBTという言葉がニュースで取り上げられた数十分後には、「オネエタレント」がそのキャラクターでバラエティ番組を賑わせていたり、芸能人の「ゲイ疑惑」の文字が雑誌の表紙を飾っていたりします。新聞でいかにLGBTに関する記事が出ても、友人や同僚の間でそんなことが話題になることはめったにありません。この「LGBT」という言葉と、実際に私たちが生活している人間関係との乖離は何なのでしょうか。

 

 セクシュアルマイノリティの当事者の割合については、およそ20人に1人だとか、さまざまな調査があります。しかし、セクマイの当事者でない(あるいはもしかすると、「まだ」当事者でない)人の中には、「自分の周りにはそんな人いないよ」と言う人もあれば、そもそもそんなこと考えたこともないという人もたくさんいます。多くの場合、カミングアウトしなければ、その人が当事者であるということが他の人からは分からない、という事情があります。

 

まさか電車で横に座っている人が、いや教室やオフィスで隣に座っているあの人がセクマイかもしれない、ということを、ほとんどの人は考えたことがないかもしれません。

 

 このように「可視化されない」セクマイという問題に対して、大都市ではさまざまなイベントが、「現実にいる」セクマイの可視化という役割を担ってきました。東京では東京レインボープライドが、大阪では関西レインボーパレードが毎年開催されています。これらのイベントは、その地域で暮らす人や通りすがりの人に対して、「私たちはここにいるんだ」というアピールを発してきました。それは必ず、その場所で「小さな変化」を起こしてきたものと確信しています。

 

 しかし、こうした「小さな変化」は大都市でないと不可能なのでしょうか。パレードが実行できるほど、資金や人や懐がある大きな都市でないと、セクマイはいつまでもニュースや新聞記事の中の人なのでしょうか。

 

 いやそうではないと言える証拠が、私は神戸IDAHOだと思うのです。神戸IDAHOは三宮の駅前で、大声ではないけれど声を上げ続けてきました。それを続けてこられた方たちの努力については、他の方の応援メッセージの稿に譲りたいと思います。しかし神戸IDAHOが、休日の三宮を行き交う人々に対してセクマイの存在を示してきたこと、現実に、いま、ここに、あなたの隣で、私たちは生きているということを訴えてきたことを、私は深く尊敬しています。

 

 私はもともと関西の出身ではありません。私はこの神戸IDAHOが続いていくことで、こんなイベントが他の地域でもできるようになることを夢見ています。神戸IDAHOをモデルとして、全国各地に活動が広がっていけば、こんな素敵なことはありません。

 

 神戸IDAHOが、あなたの隣にいる人にとって、LGBTという「聞いたことのある言葉」が現実の世界とリンクする衝撃となりますように。そしてIDAHOの輪が神戸だけでなく、日本のいろんなところへ、あなたの街へも、広がっていきますように。


YUkiより

※以下読み上げ用に画像に書いてある文章を入力したもので、内容は同じです。

 

数年前、初めてIDAHOに参加しました。私は活動を応援する立場だけど、普段話せないことや、聞けない話が聞けたり、とっても貴重な経験をさせていただきました。一番思ったのは、周りの皆さんが、とても優しくていごこちのいい空間でいい人たちだなぁ〜と思いました。たくさんの人たちにこの活動をしってもらって、世界が平和になれる様に心から願っています。これからも活動FIGHT!YUKI


トムラより

皆さまこんにちは。この度応援メッセージを書かせていただきますトムラと申します。長文ですが、どうかお付き合いください。

 

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突然ですが、わたしは【セクシュアルマイノリティ】の当事者です。

 

わたしは自分のことを女性だと思ってはいますが、中性的でありたいと考えていて、パートナーは女性です。おそらく、レズビアンに値すると思います。(セクシュアリティは揺らぐものなのだと考えているので断定しません、、)

 

でもこのことは、職場の人や見ず知らずの人に打ち明けることは困難です。

それがいまの日本です。

 

カミングアウトをすると時折、「今の日本は、社会がセクシュアルマイノリティのことを受け入れてきているよね。」と言われます。

 

確かに、テレビで【LGBT】という言葉を聞く機会はここ数年で増えましたし、パートナーシップを受け入れる地域も徐々に増えつつあります。

 

じゃあ、わたしが日々傷ついたり嘘をつく事でしんどい思いをしているのはなぜ、、?

 

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本当は、まだまだ日本はセクシュアルマイノリティを受け入れる体制ではないからです。

 

「あの人、オネエ疑惑があるんだけど!キモくない?笑」

「え?もしかしてレズなの?笑」

「同性同士で手をつないでいて、キモい」

「レズビアンには偏見ないけど、ゲイは正直受け入れられない」

「なんで何年も付き合っているのに結婚しないの?」

 

今まで浴びせられた言葉です。

 

パートナーが女性なのに、男性に置き換えて(彼氏とは言わずにパートナー、と呼ぶと相手は勝手に彼氏に変換します、、)話が進んで、7年付き合っていると言うと、結婚しないのは何故?訳ありなの?結婚は良いよ?子どもは産みたくないの?と言われます。

 

ああ、なんで嘘をつかなきゃいけないんだろう?

なんで、性別という枠にみんなこだわるんだろう?

なんで、価値観を押し付けられなきゃいけないんだろう?

 

こんなことを愚痴ったら、「怒ったらしんどくなるよ?流そう?」「恋人がいるだけで幸せと思いなよ」と言われたことがあります。

 

わたしが我慢すればいいのか?

そんな風に思ってしまうことが多々あります。

 

わたしは【セクシュアルマイノリティ】を特別扱いしてほしいのではありません。【1人の人間】として、異性愛者のように、フツー(広義ですが)に過ごしたいだけなんです。好きなものを好きと言いたい。何も高望みをしていません。

 

「セクシュアルマイノリティはここにいるよ。テレビのオネェだけじゃないよ!セクシュアルマイノリティじゃなくても、社会の枠組みに押し込められて疲れ切っている人は少なくないんじゃないか?もっとありのままでいられる社会になってほしい。」わたしは毎日こう思って生きています。

 

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神戸アイダホのように、街頭で色んな目に晒されながらもメッセージを伝える行為は、本当に勇気のいることですし、誰にでもできることではありません。主催のわかさんは、傷つきながらも困難に立ち向かっていて、わたしは戦友であり尊敬できる人だと思っています。

 

【ありのままの自分でいられる日】である、神戸アイダホをわたしは応援します。

 

そして疲れたら、休んでくださいね。


wakaより

長文、乱文失礼します。

私の話におつきあいください。

 

私のセクシュアリティ(性自認、性的指向など)は、

  • 好きになる人の性別:女性、男性(どちらでもない人も含む)
  • 自分の性別:女性、男性どちらとも捉えていない
  • 性表現:「自分らしく」が一番ですが、「女性らしさ」を押し付けられるのは苦痛

……です。

 

上記を言葉にして説明できるようになり、顔を出してカミングアウトできるようになるまで20年以上かかりました。クラウドファンディングが始まって6日目。配られた1000枚以上の私の顔の載ったチラシ。正直に言うと、いまもカミングアウトは怖いです。怖くて怖くて、必死で笑顔を作っています。時に泣きながら抗不安剤を飲んでいます。

 

私の体験を少し書きたいと思います。

 

新卒で入った会社ではアウティング(セクシュアリティをバラされること)され、突発性難聴になりました。社会に出るのが怖くて、人との関わりを避けるようになりました。

 

もちろん受け入れてくれた人も多くいます。それでも、カミングアウトした人から「ふつうを高望みしている」と言われたり、「認めてほしいなら海外にいけばいい」と言われたり、傷ついた経験もたくさんあります。それは、目に見えないけれど、少しずつ私の心を傷つけ、最終的にはうつ病になってしまいました。去年の4月からひどくなり、2016年11月までは一人で電車に乗ることができませんでした。

 

そして、2017年1月には6年間連れ添ったパートナーとお別れしてしまいました。元パートナーは、女性の身体を持っているけれど、自分のことを「100%女性」だと思えないセクシュアリティ。見た目はボーイッシュな女性でした。付き合っていた6年間は、異性同士、性別違和のないのカップルであれば何てことないようなことに、たくさん向き合わなければならない日々でした。

 

いろんなところに行きました。いろんな想い出をつくりました。

でもどこか「二人で生きること」は苦しかった。

 

例えば、二人暮らしを始めることになったとき。この部屋に決めよう、そう思った矢先、不動産屋の人が「男同士(で住む)なら気持ち悪いですよね」と笑いました。その賃貸業者はやめて別の業者に頼みなおしました。もちろん二人がカップルであることは隠して、シェアハウスということにしました。アパートの一階の美容室の人に会うときは手を離し、スーパーでも手はつながないで過ごしました。

 

誰も知らない土地に行くときだけ、手をつなぎました。あるとき泊まった宿で、緑とピンクの浴衣を渡されました。宿の人に「緑ふたつにしてほしい」と頼んだら怪訝な顔をされ、今度はピンクを2つ渡されました。二人で浴衣を持って泣きました。「楽しい旅行でさえどうして悔しい想いをしなければならないんだ!」

 

私たちは、ただ一緒にいたいだけだったのに、何かを「選べた」ことはほとんどありませんでした。たった一つ守れたのは、パートナーが大切にしていた言葉です。「自分の感受性くらい守りたい」

 

私がセクシュアルマイノリティの活動を始めて、早10年が経ちました。LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)という言葉も浸透しはじめました。少しずつ社会がよくなっていることを実感しています。いつも支えてくれる家族や友人、仲間たちには心から感謝しています。それでも、セクシュアルマイノリティとして生きることは、決して「簡単」ではないです。それはきっと、他のマイノリティの課題と通ずるところがあるでしょう。

 

失った聴力は戻らないし、うつ病も治らない、最近ADHD・ASDという発達障害であることもわかりました。この社会は、生きにくい。とっても生きにくいです。

いっしょに活動してくれているメンバーは全員無職です。全員精神疾患があります。ほかにもたくさんのバックグラウンドを持って、いままで「生きて」きました。どんな想いで進んできたのか、ここの文章で表すことができないくらいです。ただ言えるのは、いまこの文章を書きながら、涙が止まりません。

 

それでも、これだけの友人や先輩、家族が支援金という形で「応援」してくれています。それは、私の駆け抜けてきた「10年間」に対して初めて「価値」を見出してくれたように、そう感じています。何度も死にそうになりながら、それでも立ち上がって、涙をぬぐって、手を取り合って生きてきたことを「よく頑張ったね」って「よく生きてきたね」って言ってくれているように感じます。


トラウマがフラッシュバックする日々を過ごしながら、いまもめまいが止まらない中、自分のお財布からお金を出してやってきました。それでも「私がやりたいことなんだから」って思っていました。だけど、それでいいのかなってずっと違和感がありました。

 

このクラウドファンディングを達成するためにかけた時間やお金はすべて持ち出しです。だけどそれでいいのでしょうか。もし私たちが「肩書き」のある団体だったら、私たちに「肩書き」があればちがったのでしょうか。私はなんの肩書きもない、鬱で発達障害でセクシュアルマイノリティのひとりの人間です。肩書きって何なのでしょうか。

 

このクラウドファンディングへの応援コメントをみて、本当に嬉しかった。友達が、先輩が、後輩が「わかが頑張っていることにお金を出すよ!」っていってくれている、「まちがってない!」と背中を押してくれる、「辛いことがあったらすぐに電話をしてね!」とメールをくれる。

 

そして、大切な先輩や友人が、「わかちゃんに幸せになってほしい」と言ってくれた。

 

私は「幸せ」になっていいですか。

 

きちんと対価をもらって活動をしていいですか。

 

その答えがこのクラウドファンディングにあると思います。

 

最後に。

 

私が神戸IDAHOを続ける理由は、

2014年のIDAHOにこれなかったNちゃんにあります。

 

天国にいるNちゃんへ

 

私はあなたが悩みを打ち明けてくれた日、

一緒にセクシュアルマイノリティの講演会をした日、

私の名前を呼んでくれた日々を、

忘れたことはありません。

「わかさーん!」「だいすきだよ」

Nちゃんに言いたいことは「ありがとう」の一言。

私を生かしてくれてありがとう。

 

あなたが伝えたかった「メッセージ」は、

私が路上で伝え続けます。


彪流より

どんなことを表現するにも、必ず大きな勇気と体力や気力が必要です。それにどんな素晴らしいことをしても、必ず賛否は別れるもので、行動を起こせば、それに伴う傷つきも背負うことがあります。でも、その行動に生きる意味を見出す人や力をもらう人もたくさんいると思います。

 

神戸アイダホは、小さな草の根アクションであり、それを牽引してきたわかさんは、けして強くたくましい人ではありません。だけど、人一倍、誰かの心を思い、寄り添い、優しさに裏打ちされた強さを持った人だと思います。

 

何度もひどく傷つき、次々に起こる辛い現実にうちのめされても、乗り越え乗り越え、6年間も街頭アクションを続けてきたのは、わかさんの「もう誰も無き者にしたくない」という強い意志からだと思います。

 

ささやかながらこれからも、神戸アイダホを、わかさんを応援し続けたいと思います


あさのより

私の周りの人はみんな、私がよく笑う人だと言います。
悩みがなくていいね、と。明るくて素敵だね、と。

生きることがしんどくて夜中に震えることや、
もう帰ってこない誰かを思って叫んだりすること、実はあります。
でも誰にも言えない。そんな人って、きっとたくさんいると思う。

唄はいつも私を素直にしてくれるのです。
泣きたくても泣けない時に涙を、
心が動いて溢れるものに言葉を、与えてくれます。

誰かのためじゃなくて、ただ自分の心の叫びを歌いました。
音付けは苦手なので、音付けとPVを作ってくれた友人に心から感謝しています。

 

あさの

 

[動画について]

ALIVE
Vocal and Lyrics by Asano Kondo
Music and Arranged by Waka Kobayashi
Video editing by Waka Kobayashi

2017.2.8


吉川ヒロより

神戸アイダホが始まったのは、私が21歳の時でした。

 

三宮の駅前、人が行き交うマルイ前の交差点のそば。

レインボーフラッグを掲げて、手書きのフリーペーパーと、カラフルなチラシを配るだけの小さなアクションでした。

 

神戸で育った私にとって、地元で顔を出してチラシを配るということは様々な恐怖を感じることでした。

 

「中高の同級生や先輩後輩にばったり出会うかも」

「家族やその知人に見られて、バラされたらどうしよう」

「訝しげに見られたり、笑われたりしたら嫌だな」

「自分の母校や大学で嫌な噂が広まりませんように」

 

そんな思いを抱えながら、それでもあの場所に立ち続けました。

私自身や、かつての私のような人たちに、自分が自分であることは恥じることじゃないと証明したかったからです。

 

中高生の頃、私は、自分は人と違う、1人で生きていくんだと思っていました。

 

女性の体でありながら女性ではない、恋をするのは性別を問わない。

 

こんな人間は自分だけだ。自分は誰にも理解されない。結婚もせず子どもも持たず、友人や家族に本音も言わず、1人で大人になって老いていくんだろう、そう本気で思っていました。

 

でも、そんなのは嫌でした。

 

本当は素の自分でいたかった。

1人は嫌だった。そのままの自分で、大事な人と本音を話して生きていたかった。

 

20歳になってその想いが抑えきれなくなり、必死に探し回った末に、幸運にも他のセクシュアルマイノリティの人々と出会うことができました。

その時、着たくもない制服のスカートを身につけて、孤独と戦っていた10代の自分のような人たちは、まだまだたくさんいるんだと気づきました。

 

多様な性を生きる人は、たいてい見た目で違いが分かるものではありません。

だから、声をあげないと、その存在が、その声が伝わらない。私のような当事者にさえも。

 

だから1年で1日だけでも、声をあげたいと思っています。

 

あなたは1人ではない。

自分が自分であることは、恥じることでも嘆くことでもない。

ひとと違う自分も、自分と違うひとも、豊かな大切な存在だ、と。

 

7年目を迎える神戸アイダホは、ひとつ一つの小さな声を丁寧に拾いながら、多様な性にYESを表現し続けてきた場所だと感じています。

 

今年も来年もその次も、その場所が存在し続けられるように。

私は今年も、神戸アイダホを応援しています。

 

吉川ヒロ